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光がかほる
Satoshi Uchihara「香を聞く」「音を観る」「光が香おる」 日本語の言葉に含まれたイマジネーションの深さを感じられる表現。耳を傍立たせる精神性や仏の声を聞くことと同じ尊い行為として「香りに触れる」ことに深みを出している。音の表現のリアリズムが目で捉えたように写実的であり、観音像の存在がこの意味とどう重なるかも神秘的である。光も余韻を残し空間の存在感と浸透性が「かおる」という言葉に感じられる。
[ 掲載:インタビュー (青幻舎)]
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夜景 vs キャンドル
Tomomi Meguro1つのキャンドルの揺れる炎も豪華に輝く東京の夜景も穏やかな心にしてくれるあかりの不思議。
この両極にあると思われる光が両方とも心に沁みて来るのはなぜだろうか。そして、この2つは照明をデザインするものとしてなかなか手に負えないと思うのは、一つは素としての強さを持ち、もう一つは計算不可能でカオス的でありながらもコスモスとして成立している点だ。理屈ぬきで両方とも楽しみ、癒されようじゃないか。
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ひかりの体験 自然シリーズ02
Hiroki Yagiオーランドからマイアミに向う飛行機の中、窓の外を見ると雲のかたまりの中で、突然、雷が発生し爆音とともに巨大なひかりの塊に遭遇する。
窓から数十メートルのところで見たその圧倒的光景はひと時介入する自然の驚異を垣間見た。
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気持ち
Mayumi Watanuki旅行の帰り、渋滞した車の列を美しいと感じたことがある。
いつもなら渋滞というだけで憂鬱になっていたのに、その時は友達と一緒にいられる時間がうれしくて、車から見える赤いテールランプの光を恋しいと思えた。
その時の気持ち次第でその風景や状況は何色にでも変化する。
最近、悲しいニュースが多すぎてこんな些細な事を忘れてしまっている人が多いように思える。だからこそ、ささやかなメッセージを伝えたい。
[ 掲載:季刊ホームシアターNo.29(ステレオサウンド刊)より抜粋 ]
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食卓にこそ光を盛りつける
Satoshi Uchihara料理に盛り込む「心づくし」とは、相手の喜ぶ「感情の反応」と、よい思い出となる「記憶」の報酬なくしては、レシピにこだわりは生まれない。おいしい料理は目でも味わい、器に盛られた食材と同じ「こころ」で光も器に灯すべき。料理に不可欠な「心づくし」のとっておきは「光」の盛り付けできまるといえる。
[ 掲載:季刊ホームシアターNo.31(ステレオサウンド刊)より抜粋 ]
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ひかりの窓
Hiroki Yagi先日、東京の下町でほっとする窓明かりに出会う。運河沿いに建つマンションの、その一戸、一戸に住む人々の生活が窓からこぼれ出ている。最初は点在していた窓明かりが、時間が経つにつれ増え、気づくと白熱灯のペンダントライト、蛍光灯のシーリングライト、ダウンライト、ブラケットライト、スタンドライト、部屋や家によって違った光で窓が色づきだす。窓明かりが灯ることによって、それぞれの個性がはっきりと見て取れる。まさに、そこに住む人々の生活がすべて違うように……。
[ 掲載:季刊ホームシアターNo27(ステレオサウンド刊)より抜粋 ]
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情景としての光
Tomomi Meguro滝が岩肌を滑るように、光が壁面に溢れ、光に包まれる。ウォールウォッシュは「Wash」の言葉からも水が打ち寄せて来る様がぴったり来る。あかりをどこに設えるかという事は生花の天地人の発想にも通じる。横からの柔らかな光は障子文化を培って来た我々日本人に馴染みやすい。光の置き場で空間が活力とダイナミズムをもった情景として見えてくる。
[ 掲載:季刊ホームシアターNo.32(ステレオサウンド刊)より抜粋 ]
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ひかりの体験 街の灯
Hiroki Yagi富士山の山頂で体験した夜景、満天の星空の下、眼下に広がる雲海に、巨大な光のかたまりがあちらこちらに見える。御殿場、富士、富士宮、沼津、三島、無数の都市の明りが雲のフィルターを透してひとつの行灯となって見える。ひとつひとつは小さくてもそれらが集まりフィルターを透したときその光景は地球規模の夜景に変貌していた。
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炎とLED
Hiroki Yagiこの2つの光はとても対照的で歴史も、仕様も全く異なる。
でもこの2つの光をお互いがお互いを感じ、反発しないように少し手助けをしてあげることで、想像できない程神秘的でピュアな表情を創り出してくれる。
その瞬間、遠い昔の光と今の光がちょっとした光への思いで、一つに繋げられた気がした。
(青蓮院門跡2005秋)
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星祭
Satoshi Uchihara江戸時代京都鴨川で子供たちのための「光のお祭り」が存在した。寺子屋の手習いの帰りに持たされたホウズキ提灯を手に細かい隘路から川原に抜けた子供たちの目に飛び込む「光景」はまるで天の川のような光の体験であったという。
受け継がれる祭りと今は途絶えてしまった祭りも数多くあるが、京都にこの「星祭り」を再興することもひとつの夢である。
(大洲市、肱川「星祭り」2004えひめ町並博)
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ひかりを守る
Hiroki Yagi福島県二本松市のちょうちん祭りは東北の三大提灯祭り。その歴史は古く360年前から行われている。
太鼓台と呼ばれる屋台に、提灯を約300個取り付け、一晩で使われる蝋燭の数は1台1500本を越える。なかでも台上で蝋燭を取り替える姿は圧巻。蝋燭を口にくわえ一灯たりとも「火を絶やさない」ことが7町7台の1町を代表するメンツである。まさに町をあげて「祭りの火」を支え続けている伝統であり、今の姿である。
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人蛍
Tomomi Meguro自由に動き回る光はまるで都会の蛍である。街行く人々が携帯片手に先端を光らせる様は“ひと蛍”と名づけてみたい。手に光を持って歩くスタイルは、小田原提灯を連想するが、全く異なるこの携帯される光には不思議な華やかさがある。
身近に携帯できる小さな光がある事の効用は何か。まずは身近に光が存在する事が大切だから、この光は草の根運動のようにとても頼もしい。空間を広く照らしていた高度成長期から、携帯できて可能性の広がる手中に納まるあかりへ。そこからまた新しい光のストーリーが始まる気がする。
[ 掲載:季刊ホームシアターNo.28(ステレオサウンド刊)より抜粋 ]
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ひかりを操る
Hiroki Yagi器具の機能を見定めて、指定された器具がさらにその効果を放つには現場での調整が最も重要なフィニッシュワークとなる。「人の手」によって光の表情がスポットライトの微妙な角度にも現れる。あたかも絵の具と筆を使い分け空間をキャンバスに光によって描いていく。
この時間を大切に確保することもデザイナーの役割。
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Natural scene
Mayumi Watanukiその日は昼から天気が良くなり、山頂付近にはうっすらと霧が懸かっていた。
近づいてみると、何とも言えない薄い光のベールが天から降りていて、触れたら一瞬にして消えてしまいそうな、柔らかい繊細な光に包まれた。
自然が創りだす光は必然と偶然のドラマ。自然の中の光をもっと体験すること。
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光を身につける
Satoshi Uchihara装飾品を身体にまとうように、自由に空間の中で光を楽しむことは、たくさんの人と共有できる演出の特効薬でもあり、気軽な実践によって「自分らしさ」を表現するプレゼンテーションテクニックでもある。
[掲載:季刊ホームシアターNo.31(ステレオサウンド゙刊)より抜粋]
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月夜
Tomomi Meguro例えば、月がなかったら・・・
究極のIndirect Lightの姿にしばし想いを馳せる夜
秋
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共有すること
Satoshi Uchihara「共有」をテーマとする「恋人たち」であっても「感激して互いに握る手に力を込めて見つめる雄大な日没のシーン」や「同時に味わう1パイのラーメン」でさえおのおのの感覚器官を経由して取り込まれた情報は「異なる」ものと言うしかないのである。
とすると、我々が共有できるものは・・・ただひとつ「創造世界」つまりはイマジネーションの世界だけとなるわけである。
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言葉の魅力
Satoshi Uchihara日本語の断定的でない表現。とよくとり沙汰されるが、とりわけ生まれ育った京都などははぐらかすようにむしろ意思を断定的に結ぶ表現は少ない。
どうも遠まわしに感じていたこの言葉のキャッチボールもたどり着く目的は「言葉の答え」ではなくその間(あいだ)にある感覚的な表現の応酬だったといえる。日本文化独自の空間表現もこの言葉のニュアンスと密接な関係があるのではないだろうか。
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手間の美学
Satoshi Uchihara「電気」の登場は人類史上最も大きな変化でもある。その輝かしい歴史の変遷の中で有り余る機能を受け入れつつ劣化し続けてきたのが「手間の美学」。
今の生活に蝋燭を使うことの難易度の高さは提案してみないとわからない。風で消え、雨にもろく、危険性が高く、寿命がとても短命などなどその弊害はよどみなく挙げられる。がどうしてもフェイクでは表現し得ない情緒がある。炎が灯されている状態によって「伝わる」人の手の感触・・・その理由は今挙げた弊害のなかにこそある。そしてその弊害を補う「人との関係」にあると言えるだろう。
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コスト
Satoshi Uchihara景気がまさに計り知ることができない「人の気」や「雰囲気」によって変動するように、お金の価値観も刻々と変化するもの。対価を支払って「目的の価値」を獲得はするが、この「目的の価値」の物理的なものの価値以上に実は「充足される心や気分」にその対価は支払われているもの。「食べることも」「着飾ることも」「住むことに付加していく贅」もなにもかも。実はその満足つまり「理想」を仮想的に物理にゆだねて我々は精神的満足に近づこうとしているのである。(写真:北欧の住宅 資料提供:ルイスポールセンジャパン)
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電気からあかりへ
Satoshi Uchihara一般家庭の照明のON/OFFがほとんど壁付けのスイッチによって突然、暗闇に切り替えられるが、この「衝撃」によって我々は照明を「電気」ととらえて随分と長い間その生活環境を変えようとしていない。子供を寝かしつける母親が「早く寝なさい」と言いながら突然「暗闇」を強制するシーンと、同じ会話でも押したスイッチが数分かけて消える調光スイッチだったなら・・・子供が徐々にまどろんでいくやさしげなシーンが浮ぶのではないだろうか。
ささやかながら、「あかりを消して」という日常の会話から始めてはいかがだろうか。
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デザイン フィー
Satoshi Uchihara光によって全てを創り出す視覚環境の中で空間の情緒や質の高い時間をコントロールするライティングデザイナーの職能は今、どんどん社会的にその必要性に対する認識を高めつつあります。我々はその対価によって常にデザイナーとしての資質を高め、社会的責任を自覚し、日々魅力的なライティングデザインの提供をつづけることに努めていかなくてなりません。
UCLDのホームページではそのコンテンツ「company」の中で我々のデザインフィーについても紹介しています。
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デザインテクニック
Satoshi Uchiharaライティングデザインナーが用いる「光のテクニック」UCLDのホームページではそのコンテンツ「achievements」の中で、デザインワークの中の「concept・design technique・speciality」の3つのテーマでUCLDの魅力を紐解いています。是非ご覧ください。
click→achievements)
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住宅を新しく建てる人に
Satoshi Uchihara住まいに大切な光の提案をします。住むことの楽しさ、やさしさは光によって一変します。UCLDのホームページではそのコンテンツ「company」の中で、あらたに我々が提供するコンサルテーションの新業務を紹介しています。住宅オーナーになろうとする方だけの耳寄りなサービスですから、是非ご覧ください。
click→(company・住空間への光のコンサルテーション)
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見立てと道具立て
Satoshi Uchihara形あるものの存在や行為の目的、いづれも我々の生活の中で繰り返される結果のように思えますが、その形の周りやその行為の途中を味わっていませんか本当は。
光はそこを訴えているのです。
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no light! no life
Satoshi Uchihara命に必要な光。でも必要なだけじゃない。
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夫婦喧嘩のなくなる光
Satoshi Uchihara一部屋1台の明かりの弊害は思っているよりはるかに重大!
何もかも浮き彫りにしてしまう過剰な光と「1つ明かり」=「自分のテリトリー」に割り込む構図は快適な共同生活にあってはならないものなのです。同じ空間にいながら相手の世界が柔らかく独立している・・・
生活の変化は「模様替え」よりアイデンティティーの確率が特効薬。
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光を活ける
Hiroki Yagi部屋に美しく活けられた花は、見る人の心に潤いを与えてくれる。玄関に活けた花は、来客者への華やかなもてなしとなり、食卓に飾られた花は、文字通り、料理に華を添える。
ライトの置き場所を変えてみるだけで、シェードから洩れる光の表情は随分と変わってくる。高さや位置、シェードのかたちや色、明るさが変わると、まるで違う空間の広がりや奥行を感じることができるのだ。
光を室内に点在させて「光を活ける」こと。それは心の潤いや優しさ、温かさ、豊かさをもたらすものだ。ぜひ楽しんで「光を活けて」みてほしい。
〔掲載:季刊ホームシアターNo.33(ステレオサウンド刊)より抜粋〕
(Phot by Hiroki Yagi)
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車窓光
Hiroki Yagi突然すばらしい夜景に出会うことがある。中秋の名月を過ぎた10月8日の夕方、満月に照らし出された高速道路を富士川サービスエリア付近を東京方面に走っていたときのことである。富士山から箱根までの稜線が月明かりで照らし出され、富士山の斜面になだらかに広がる都市の夜景と一体になった光景はすばらしかった。視点が動くなかでその光景が徐々に変化していく様は広大な宇宙の光のアトラクションに乗っているかのよう・・・。
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太陽
Mayumi Watanukiこの太陽の光が生き物の命を支えている。ちなみに地球から太陽は約1億5000km。日中50000ルクスの明るさを享受しているとして、その発光光度は1.125×1027cd(キャンデラ)数位でいうと億・兆・京・垓を超えて秭(じょ)の位でしょうか・・・しかも、軌跡はそれ以上でもそれ以下でも我々が授からなかったこと。晴らしいパワーですよね
(photo by Mayumi Watanuki)
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日本の色
Mayumi Watanukiこの色彩の中には何種類の色が隠されているのでしょう。
その美しさとあらゆる変化が少しずつ重なり見え隠れする様に日本らしさを感じます。
皆さん日本人に生まれてよかったと思いませんか?
(photo by Mayumi Watanuki)
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ランドマークとしてのあかり
Kaori Hiroki目まぐるしく動き続ける都市の中にいると、自分がどこに立っているのか分からなくなるような感覚にふととらわれることがある。そんな時、ランドマークとしてのあかりがもたらすものは「いつも変わらずそこにある」という存在感-ビルとビルの間にひっそりとたたずんでいた小さな東京タワーのオレンジ色は、不思議なほどにほっと気持ちを和ませてくれた。
(photo by Kaori Hiroki)
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Horizontal Light
Tomomi Meguro大自然の空と海を背景にした「舞台」でのケチャの舞。
男たちが謡いながら天を仰いで進行するケチャは刻々と深くなる夕日を味方に、炎は求心力を得て、人々を魅了していく。
夕日は逆光となり舞のシルエットを妖艶に彩り、炎が男たちの表情のディテールをひろう。
空の色彩が消える頃、舞は終わる。気づくと月が高く輝いていた。
(photo by Tomomi Meguro)
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雲ものがたり
Tomomi Meguro孫悟空が金団雲に乗ってやってきた。
ランドマークタワーのヘリポートに降り立ち、中華街でおなかいっぱいになると
孫悟空はまた雲に乗って去っていった。
あなたなら何を想像するのでしょう。
(phot by Tomomi Meguro)
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空気感
Tomomi Meguro光は木々の影で、その空気感をシェードに刻印した。
切り取られた一瞬は止まっているのに動きを感じさせる。
手を翳せば温もりが残っているかのように暖かな陽光。
光の雄弁さに心が奪われた一瞬。
(photo by Tomomi Meguro)
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人あかりの力
Kaori Hiroki生まれて初めて富士山に登った。登り始めには良かった天気も日暮れから雨と突風がひどくなり、足場もはっきり見えない不安な道をひたすら登り続けることになった。そうしてやっとの思いで山小屋のあかりが見えたとき、心からほっとした。なんでもない工事現場用のライトが「私たちは生きている」そんな意志表明のように思えて。
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Sunset Theater
Kaori Hiroki私の部屋のベランダには期間限定の夕日の劇場がある。マンションの向かいに立っていた古いビルが建て替えとなり、しばらくの間だけ視界が開けた状態なのだ。太陽が沈むスピードは思っている以上に早い。真西向きの特等席から太陽が沈んでいくのをじっと眺めていると、いにしえの人々が太陽をあがめていた気持ちが少しわかる気がする。
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熱量のある光
Hisaki Kato冬の縁側に差し込む太陽の光。ストーブから溢れる炎の光。食卓で料理を照らす白熱灯の光。これらの光は
たくさんの熱量を蓄えて私たちに伝わってくる。この光と共に伝わる熱には心を温ためる成分が含まれていると私は思う。
そんな光の中にある『熱量』を今一度大切にしたい。
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光で描く
Hisaki Katoボリビアの都市ラパス。
すり鉢状の地形にはびっしりと家々が密集している。夜になるとその家々に明かりが灯り、すり鉢の底から見上げると360°無数の光に囲まれる光景を体験できる。
その明かりの1つひとつを人間が灯していると想像すると、光は人間のエネルギーを表現する絵の具の様なものだと感じる。
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光を観る
Hisaki Kato『光』を『観る』と書いて『観光』。
中国の句「国の光を観る。用て王に賓たるに利し」との一節が語源とされている。
その土地どちの景色や食事を楽しむことのすべてを総称して『光』と表現しているところに『光』という言葉の奥深さを感じる。
常々何かを照らす物質のみを『光』と捉えがちだが、「光とはそんな単純なものではないぞ!」と先人から気づかされる。
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ウィンドウ・サイド
Masaki Kawaguchi人様の家の窓をあまりじろじろ見るのは褒められた事ではないかもしれないが、普段生活している中で、ふと興味をそそる光景を目にする事'がある。
写真は猫のシルエット。生きている猫なのか人形なのか、生きている猫ならば何猫なんだろうか。気になってしばらく足を止めて見入ってしまったことがある。例えば子供のおもちゃが外を向いて窓に飾られていたらどうだろう。
その子が大切にしているモノがなんだろうかなんて思いを寄せる事が出来るかもしれない。
さすがにショーウィンドウ程のことをすることも無いが、窓が町行く人たちとの接点であるなら、顔も名前も知らない誰かを微笑ませる工夫をしてみたい。
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雨上がりのアートミュージアム
Masaki Kawaguchi雨上がりの歓楽街は待ち合わせが楽しい。
実像として鮮明に見えている風景がアスファルトの路面に映り込み、パステル画をぼかしたような姿が現れる。
なにかその場所の気配のようなものだけが浮かびあがった一枚の抽象画を見ているような気分になる。
待ち合わせ場所までの道中は、そんな絵画の世界を見て歩くことが出来るちょっとしたミュージアム空間だ。
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感覚的なもの
Masaki Kawaguchi工事現場の照明は普段、特に意識することはされないかもしれないが、実はとても珍しいオブジェクトだと思う。
両手いっぱいでようやく抱えられるぐらいの大きさの球体が真っ白に光っている。
同じような光はそう他には見当たらない。工事現場以外ではどんな空間が似合うのだろう。
日常的には「工事中」という環境を見つけた瞬間から安全意識が働くからだろう。
情緒的な感覚は引っ込んでしまう。ジェネレーターの音の印象が強いせいもあるかもしれない。
経験的知識や先入観念を一度意識の脇に置いて世界を見直してみると、何げない風景から新鮮な光を見つけ出すことができると思うようにしている。
- 光がかほる
- 夜景 vs キャンドル
- ひかりの体験 自然シリーズ02
- 気持ち
- 食卓にこそ光を盛りつける
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- 炎とLED
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